皆さんこんにちは!今井ひとみです。
お盆休みで、14日から2泊3日で実家に帰省していました。
北海道の中でもずーっと北のほうに私の生まれ故郷があります。
札幌からは車で4、5時間かかります。
子どもたちも連れて行ったのですが、弟夫婦の子どもたちとずっと外で遊んでいました。
子どもの体力には驚かされますね・・・。
私はというと、いつものごとくお酒ばかり飲んでいました(笑)
すごくゆっくりできて良かったです☆
海の写真しか撮っていませんが、こんなところです。
見渡す限り、海、海、海です!自然しかありません☆
また今日からブログを再開していきますので、どうぞよろしくお願いします!
では、今日のテーマはこちらです。
「必要な自己犠牲と必要ではない自己犠牲」
今日は、自己犠牲はやらないでくださいねというお話をしていきます。
無意識の自己犠牲に気づくヒント
これまでも何度かお話ししてきましたが、私は料理が苦手です(笑)
ですので、私の場合は手の込んだ料理に手を出してしまうと、自己犠牲に繋がってしまいます。
何が起きるのかというと、買い物をする時に時間がかかってしまったり、お金がかかってしまったり、仕込みなどの準備に時間がかかってしまったり。
チャレンジしてみるものの、お話しした通り料理が苦手なので、お味はイマイチ・・・なんてことがあります。
自分の許容範囲を超えて頑張りすぎてしまうと、その許容範囲を超えて頑張ったことで相手に対して、評価してほしいという気持ちが生まれてきます。
でも、家族はそんなの関係ありません。特に子どもたちは、おいしいかおいしくないかを的確に判断してくれます。
特に1番下の末っ子はおいしいものは食べる、おいしくないものは食べないということが起きるわけです。
自分が許容範囲を超えて頑張ったことに対して評価が付かない状態になると、
期待を裏切られた
頑張ったことが無駄だったのか
という気持ちが押し寄せてくるわけです。
要は、自分を犠牲にして頑張ったり許容範囲を超えて頑張ったりすると、
相手に対して自分がやった分評価してほしい
相手に対して自分がやった分を返してほしい
というように、相手に求めることが多くなってしまうことになり、私はこれが大きな問題だと思っています。
こうなると、
相手の顔色をうかがう
相手の評価が気になる
相手の行動が気になる
のような状態になってしまいますので、自分を犠牲にすることはやめていただきたいということです。
中には、自分が自己犠牲をしていることに気付いていない方がいます。
そこに気付いているか気付いていないかが重要です。
無理して頑張っている自分に気付いていないとなると、とてもつらい状態になってしまいます。
お家に帰って何も楽しいことがない
何もやる気が起きない
お風呂に入ったり歯磨きをするのも面倒
という状態になると、あなたの心にアラートが出ている状態ですので、ここを基準にして考えていただくと良いと思います。
特に、お風呂に入ったり歯磨きが出来なくなるというのは、
自分のことを大事に出来ていない状態です。
自分にすら手をかけたくない
ということになると、人にエネルギーを使いすぎてしまっている可能性があります。
そうすると、実はあなたが気付いていないだけで、自分を犠牲にしてしまっていて、許容範囲を超えて頑張ってしまっていることが起きている可能性があるわけです。
これは、危険信号が出ている状態ですので、ぜひ気を付けていただきたいところです。
また、自分を犠牲にしないことは、自分の気持ちに正直になっていくことが大事です。
嫌なものはやっぱり嫌なんです。
嫌なものを無理に我慢することは本当にやらなくていいと思います。
例えば、
自分にとって嫌だけどこれは自分が我慢したほうが周りのためになる
私が我慢することで皆に嫌なことが起きないならそれでいい
というような考えを持っている方は、要注意です。
皆さんが我慢している分、人からリターンがあるかというと、一概にそうではありません。
これは、お仕事だとわかりやすいと思いますが、皆が少しでも楽になると思って皆の知らないところで一生懸命頑張ったとしても、大抵の場合は、誰も気づきませんし誰も評価してくれません。
陰に隠れて努力をして、それを誰かが見つけて褒めてくれるだろう
ということは、全くもって期待できません。
なぜなら、
みんな自分のことで精一杯なんです。
相手を気遣える方は余裕があってそういう方もいらっしゃいますが、
自分のことで精一杯
今日会社に行くだけで精一杯
このような方が多くを占めていると思います。
では、あなたがみんなの知らないところで一生懸命頑張ったことを気付いてくれる方がどれだけいるのかというお話です。そうすると評価されないということになってきます。
上司があなたがやったことだってわかってくれなければ、それは評価してもらえません。
上司にわからないように、周りの人にわからないように、こっそり努力をしたことに対して評価してもらえるのかというと、そうではないことが多いです。
会社であれば、自分のやったことが自分がやったんだということを言わないとダメですよね。
陰での努力を誰かが見てくれていて誰かが評価してくれるということは、中々に難しいことです。皆さんが一生懸命頑張ったことが適切に評価してもらえるということではないんです。相手からそれなりのリターンが返ってくるとも限りません。
ですので、自分を犠牲にしたり、自分の範囲を超えて努力をしたり頑張ったりということは、私は極力やらないほうが良いと思います。
他人のために自己を犠牲にしないこと
自分を犠牲にしないヒントは、
自分の心のアラートに気付く
嫌なことをきちんと判別する
これをしっかりやっていただくことです。
特に嫌なものは嫌なんです。
嫌なものを我慢する必要はありません。
また、努力することにも
目的がある努力
目的がない努力
というものがあります。
例えば、熱い鉄板の上に裸足でのるというのは、何の意味もありません。
けれど、資格試験にむかって努力をししたり我慢をしたりすることは必要ですよね。
これは、自分に方向性が向いているからです。
自分が合格するために我慢する
自分が合格するために遊ぶのを我慢する
これは良いです。しかし、
相手のために我慢する
相手のために努力をする
ここの軸はぶらなさないでほしいところです。
何が言いたいのかというと、
自己を犠牲にして相手に何かをしていませんか?
ということです。ここです。
冒頭でもお話ししましたが、私は料理が苦手ですが、自分が食べたくて手作りピザを作るということであれば、それは自分のためですのでお味がイマイチでも、
自分を軸にして自分のために頑張っていく
自分のために許容範囲を超えて頑張っていく
ということは力になっていくことです。そうではなく、
周りの人を喜ばせたい
周りの人にがっかりさせたくない
こういうことのために自己犠牲を伴って許容範囲を超えて頑張るということはやらないでくださいということです。
これは相手が評価者になりますので、良かれと思ってやったことが相手にとっては迷惑と言うこともありえます。ですので、相手に何かをしていくのであれば、許容範囲を超えて頑張らないことが重要なポイントです。
やはり、自分の軸を持つということが大事になります。
自分のためにやるにはいいんです。自分がやりたくてやるものいいんです。
嫌なことを我慢することが、
自分のためにやることなのか
相手のためにやることなのか
ここを基準に判断していくと良いと思います。
相手のために頑張りすぎることが、逆に仇となって悪循環になってしまい、行きつく先は「恨み」や「執着」に変化していくことがありますので、ここは何としても食い止めていきたいところです。
今日のまとめ
・自己犠牲を伴うと相手にその分の見返りを求めてしまう
・自分が自己犠牲をしていることに気付くことが重要
・嫌なものが何かをきちんと判別する
・嫌なものを我慢するのは誰のためにするのかを判断していく
自分の目的や目標のために自己犠牲を伴うことは、自分に返ってきます。
自分のためにかけたものは、自分が返すことが出来ます。
けれど、相手のためにしたことはあなたが求めているものが返ってくるとは限りません。
相手にも感情があり、感性があり、価値観があります。
ここをしっかりと見極めて、必要以上に自己犠牲をしかないことが、
毎日の皆さんの生活がグッと楽になっていくと思います!